配当金とパン
配当金
20代から株式投資をしています。
配当金を出す企業の株なら、持っている株数に応じて配当金がもらえます。
たとえば、1株100円の配当金がもらえる株を100株もっていれば、
年間10,000円の配当収入となるわけです。
買った株は売らず、定期的にこつこつ買い増すと、配当収入も増えてきます。
たまの贅沢
そうすると、まだまだ大した配当収入には育っていないものの、
たまに配当金で少し贅沢をしようかなと思う日も出てくるわけです。
実際には、配当金は証券口座に入っており、それを引き出して支払うわけではないのですが。
というわけで、今日、街に出かけてパンを買いました。
足早に帰宅し、コーヒーを淹れて焼きたてパンを頬張ります。
なんと美味しいこと。凡人の幸福ここにあり♡
微小であれ配当金という不労所得は、偉大なる経済的自立の一里塚である!
どれも確かなのですが、ほかに感じたこともあったんです。
配当金があれば働かなくても、パンという施しを受けられる。
何とも穏やかな気持ちになりました。
給与所得の重み
我々多くのサラリーマンは基本的に、労働の対価としてお金をもらい、そのお金でモノを買います。
場合によっては、長時間残業をしてストレスを抱える方もいらっしゃいます。
そうすると、
こんなに苦労して得たお金だから、美味しくて当たり前。
もっと言えば、ちょっと値段が高いんじゃないの?
と思うことすらありませんか?
一方、労働という苦労はせずに得たパンであれば、
仮に少し焦げていたとしても、まあいいかと、丸ごとありがたく食べられるわけです。
返報性の法則
心理学では、返報性の法則というものがあります。
人から何かしらの施しを受けたとき、「お返しをしなくては申し訳ない」というような気持ちになるという心理作用
今回の体験は、ちょうどそれに似ているのかもしれません。
労せずしてパンをもらうと、
満たされた気分になった。だったら、今度は自分がだれかに施しをしよう。
心地よいと、何か良い循環が生まれるような気がします。
これからの期待
もっと広い視野で言えば、今後仕事が効率化され、人間がする仕事が減る。
そうすると、苦労をしなくてよい分、
もてる時間やエネルギーを社会へのお返しをしたり、
好きなことに明け暮れた結果、社会が豊かになっていたということさえありそうです。
配当金とパンについて、もの思いに耽るのでした。