凡人サラリーマンの幸福論

30代の凡人サラリーマンが幸福について考える

死を思い生きる

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小学生のころの夏休み、父親に海水浴に連れて行ってもらいました。

海と空の青が眩しい快晴でした。

 

穏やかな波が浜辺に打ち寄せては引いていくのが楽しく、水際で遊んでいると、父親が「少し泳いでくるからここにいなさい」と、僕を残して沖まで泳いでいきました。

 

しばらく浜辺で遊んでいると、だんだん飽きてきて自分も海に足を踏み出してみたくなり、その日父親に買ってもらった浮き輪を抱えて、一歩ずつ沖の方に歩きだしました。

 

首まで水に浸かろうかというとき、突然、引く波に身体がさらわれ、足が砂を離れました。

 

パニックになり、もがけばもがくほど身体が沈み、ものすごい勢いで海水が小さい僕の身体の中に流れ込みました。

 

意識が途切れそうになるとき、ふと僕の手が引かれ、浜辺まで身体が引き戻されていくのを感じました。

 

知らない大人の男性が僕を海から引き戻し、浜辺に寝かせてくれたことが分かりました。

 

砂の上に仰向けになって、ひどい吐き気に襲わている最中、戻ってきた父親が気遣ってくれた後、抱えていた浮き輪がなくなっていることを叱っていたように思います。

 

あれから20年ほど経ちましたが、今も生々しく記憶しています。

男性の顔は覚えていませんが、海水の猛烈な塩気だけが強く思い出されます。

 

30代で死の瀬戸際に立った体験をもつ人は多くないでしょうが、一瞬でも死に連れていかれそうになる体験をすると、ふとした瞬間に不思議な感覚になることがあります。

自分は、本当は死んでいたはずで、今ここにいるのは本当なんだろうか。

 

そういう感覚になるときは決まって、楽しいときや幸せを感じるときです。

反対に、何をしてもうまくいかず落ち込むときや、激しい疲労感を覚えるときは、全くほかの感情がやってこないのです。

人間には、何か不安や不吉なことを感じずにはいられない性があるのでしょうか。

 

良く生きるために、もちろん肯定的な感情は必要だと思います。

ですが、無理に暗い気持ちや不安な感情を押し殺すのではなく、常に両方の感情は潮のように満ち引きするものだということを当たり前のことと潜在的に意識するようになった。

 

その変化は、あのときの夏からかもしれません。